京都吉田山ふるカフェ系!風雅な山荘で時を忘れる幻の茶苑【茂庵】

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【ハルさんの休日】5月10日NHK午後11時00分~ 午後11時30分

「京都・吉田山 数寄者が作った風雅な山荘」澄み切った空気、

ただよう緑の風、時折聞こえる鳥の声・・・

「市中の山居」を存分に楽しむ京都・吉田山のカフェが舞台です。

 

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目次

「市中の山居」とは?

町中に居ながらにして山中の風情を楽しむこと・・・

 

日常の中に非日常の空間を取り込み、その空間と時間を楽しむということを
表した茶の湯の用語のようです。

 

かつて公家たちが風雅な遊びを楽しんだ京都・吉田山の頂きにたたずむカフェ。

 

かつて新聞用紙運輸業を営んでいた「数寄者」谷川茂次郎が広大な森の中に築いた山荘。

 

高級ヒノキをぜいたくに使った建物は、かつての食堂棟でしたが・・・

 

彼の死後に閉鎖、「幻の茶苑」と呼ばれていたようです。

 

その孫が、受け継いだ建物を何とか残していこうとカフェに改造。

 

大文字が一望できるカウンター席と工夫を凝らした茶室。

 

茶の湯や京舞の継承者たちと絶品の湯葉!

茂庵とは?

 

茂庵はもともと大正時代に創られた茶の湯のための場です。

 

その立地は、西に京都大学、百万遍、東に銀閣寺、、と人々の行き交う町中にありながら、
ほんの少し、足をのばすだけでどこか遠くの山中にトリップしたかのような隔離感を
感じることのできる場所です。

 

澄み切った空気、ただよう緑の風、時折聞こえる鳥の声・・・

 

ここが、京都の市内だということを忘れてしまいそうになるような・・

 

この素晴らしい環境と、茶の湯のかおりを伝える為に、本来の「市中の山居」の意味を
広義に捉え、茂庵のキャッチフレーズとされているようです。

 

茂庵は大正時代に一人の数奇者によって創られました。

 

1864年生まれ、八瀬大原出身の谷川茂次郎さんは、若いころから独立心に溢れ、
幾つかの事業を経験したのち、大阪にて新聞用紙を中心に扱う運輸業を興します。
(現:谷川運輸倉庫株式会社)

 

明治、大正の激動の時代を映す新聞業界の進歩発展と共に彼の事業は順調に
成長していったようです。

 

新聞社と製紙会社の間に立つ茂次郎は両者から絶大な信頼を得、
「円転滑脱の才の持ち主」と評されたといいます。

 

事業に成功した茂次郎さんはのちに 取引先の製紙会社の社長のすすめで
茶道を始められます。

 

裏千家に入門し本格的に茶道に親しみ、また裏千家を強力に後援、流儀の発展に
貢献したことから今日庵の老分(長老)として遇されました。

 

茂庵は有形文化財に登録

このように数奇者としても造詣を深めていった茂次郎さんは、神楽岡(吉田山)の
山頂に茶室8席、月見台、楼閣など広大な森の茶苑を築きあげられました。

 

たびたびお茶会を催しては茶人としても多くの人と交流を深め、茂次郎さんの没後、
数十年封鎖されたこの地に現存するのは、当時の食堂棟(現、カフェ)と茶席二棟だそうです。

 

「茂庵」というネーミングを茂次郎の雅号から採り、今の茂庵のスタイルが生まれました。

 

なお、茂庵は平成16年8月17日付けで、京都市の「登録有形文化財」に登録されました。

京都府
大正/1912-1988
木造平屋建、銅板葺、建築面積47㎡
1棟
京都府京都市左京区吉田神楽岡町7-2他
登録年月日:20040723
株式会社ヤマチカ
登録有形文化財(建造物)

 

6畳の茶席を中心に,4畳半の前室,水屋,台所,風呂場等からなっているようです。

 

茶席は躙口を構え東面北端の壁に織部板を付し壁床を設け,東端半間を垂れ壁で区切り,
北半間を網代天井,南1間を化粧屋根裏とする。

 

東に如意ヶ岳を望む開放的な構えで随所に創意が窺えます。

 

時間を忘れ、京都の風雅な山荘でいただくお料理は絶品ですねぇ~~ヽ(*´∀`)ノ

 

この場が、美しい時間をそっと添えることのできる存在でありたいという願いを込めて・・・

 

なんと美しい響きが胸に響きます。

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