【訃報】平幹二朗突然の急死に激震人生の偉業を振り返る

平幹二朗

圧倒的な演技力で知られ、旭日小綬章を受章した俳優の平幹二朗(本名同)さんが

10月23日、82歳で亡くなりました。

広島県出身ということで親近感を持ってドラマ、舞台などの活躍を楽しみに拝見していました。

ふる里のご近所の方と親戚ということもあって、平幹二朗さんのお名前は、よく聞かされて耳に

馴染んでいたからかも知れません。

ご冥福をお祈りしながら、平幹二朗さんの人生を覗いてみたいと思います。

 

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平幹二朗死因は何だったの?

関係者によると、所属事務所がこの日、平さんと連絡が取れなかったため、
家族に様子を見に行ってもらったところ、自宅の浴槽で倒れているところを
同日午後6時半ごろ家族が発見し、119番通報したそうです。

 

警視庁北沢署員が駆け付けた時には心肺停止状態だったと・・・

 

平幹二朗さんは1人暮らしだったようです。

 

舞台や映画、ドラマで活躍し、生涯にわたり第一人者として君臨した平幹二朗さん。

 

長男の平岳大さんからのご挨拶分です。

平岳大

 

この度は、父、平幹二朗の突然の訃報でお騒がせ致しまして誠に申し訳ございません。

10月22日より本人と連絡が取れなくなり、翌日自宅を訪ねたところ、
浴槽で穏やかに眠っている父を見つけました。
この度の事で番組関係者、舞台制作関係者様に多大なご迷惑を
おかけしたことを心よりお詫び申し上げます。
父が俳優として恵まれた人生を送れたのも、偏に皆様との出会いによるものだと
感謝致しております。
子供の頃、長い間、父と会わないで居る時間がありました。
私が俳優になってからは、その失われた時間を取り戻すように、先輩として、
演技の師として、そして父として濃密な時間を過ごすことができました。
生前、親交を持たせて頂いた方々、ファンの皆様、心より御礼を申し上げます。
尚、葬儀、告別式につきましては、詳細が決まり次第ご報告させていただきますが、
私の会見等は行わず、この書面にて代えさせていただきますこと、ご理解ください。
何卒宜しくお願い申し上げます。
平成28年10月24日 平岳大

平幹二朗プロフィール

名前    平 幹二朗(ひら・みきじろう)
生年月日  1933年(昭8)11月21日
出身地   広島県
血液型   B型
生後間もなく父親が病死し、母一人子一人の家庭に育つ
高校在学中に演劇に関わり、映画監督を志す
俳優座で役者デビューし、初舞台は56年の「貸間探し」
以降、テレビドラマや映画など幅広く活躍した。
04年の舞台「鹿鳴館」では佐久間、岳大と共演を果たし話題を呼んだ。(紙面より)

高校卒業後の53年に俳優座養成所に5期生として入所し、56年に俳優座に入団され、
仲代達矢さん(83)と並ぶホープと目されたようです。

 

63年に最高視聴率42%を記録したフジテレビのドラマ「三匹の侍」に出演し人気を博し、
68年にフリーになられた後は、浅利慶太氏(83)や故蜷川幸雄さんら気鋭の演出家に認められ、
大劇場のスターの座を不動のものとされています。

 

98年に紫綬褒章、05年に旭日小綬章を受章していらっしゃいます。

 

平幹二朗さんはフジテレビ「カインとアベル」(月曜後9:00)に出演中で、
9月29日に行われた24日放送の第2話分まで撮影を終えて、

 

今月9日まで大阪で上演された舞台「クレシダ」に主演していらっしゃいますが・・・
これが最後の舞台出演となったようです。

 

演劇関係者によると、公演中も元気そのもので「何ら変わった様子はなかった」と・・

 

千秋楽となった9日の大阪公演後は元気な様子で京都の街を歩いている姿が
目撃されていたのですが・・

私生活ではどんな人だったの?

平幹二朗さんと佐久間良子さんは、テレビでの共演がきっかけで1970年4月に、
大物カップルとして結婚されました。

 

1974年には二卵性双生児にも恵まれたのですが、蜜月は初めの4年ほどで、
それからずっと仮面夫婦を続けていたことが明らかになっています。

 

1974年に平幹二朗さんは仕事場を兼ねて東京・渋谷にマンションを購入し、
実質的な別居生活をしていらっしゃたようです。

 

その頃から、平幹二朗さんには“男の噂”があり、一方の佐久間良子さんにも
不倫疑惑が浮上していたのです。

 

1984年5月28日に「東京会館」で当時の妻だった女優佐久間良子さん(77)と離婚され、
その際に行った「離婚会見」は芸能史に残るものとなっているようです。

どんな離婚会見だったの?

離婚会見で、平幹二朗さんは「原因は、彼女も仕事を大事にする人で生活のずれがあったこと。

それが14年間積み重なってしまった」と説明され、佐久間良子さんも
「不器用な女なので、母と女優と妻の3役を全うできなかった」と話し、
きれいにまとめようと努めていらっしゃるようだったと・・・

 

円満離婚を強調したがったお2人ですが、質疑応答では、海千山千の芸能リポーターを中心に、
厳しい質問が続出し、平幹二朗さんにはズバッと「男性問題が原因では?」の問いもぶつけられ、

 

余裕の笑みを浮かべながら「僕がお答えするより、彼女に・・」と水を向け、
佐久間良子さんが「そんなことは全くありません」と否定してみせる一幕もあったとかで・・・

 

のちに最後の夫婦共同作業と言われたものだったと報じらてれいるのです。

 

それでも平幹二朗さんが求めた握手を佐久間良子さんが拒否する場面もあって、
芸能史に残る愛憎渦巻く「離婚会見」と語り継がれているようです。

生涯現役を貫いた平幹二朗の歴史に残る作品

平幹二朗

 

1963年  フジテレビのドラマ「三匹の侍」に出演し人気を得た後は、
1970年  NHK大河ドラマ 「樅ノ木は残った」
1973年  「国盗り物語」に主演。
「王女メディア」「近松心中物語」
1976年  「卒塔婆小町」で組んで以降「NINAGAWA・マクベス」など17作品を共にし、
故・蜷川幸雄さんの舞台にも数多く出演していらっしゃいます。

蜷川幸雄さんも亡くなり、演劇界の至宝を立て続けに失うことになりました。

 

生涯にわたり現役を貫いた平幹二朗さんですが、1987年には肺がんの手術を
受けていらっしゃいます。

 

左肺の4分の1を切除し、闘病の事実を世間に知られぬまま、40日の入院を経て
すぐに仕事に復帰し、以降体調不良とは無縁だったようですが・・・

 

俳優として、また演出家として大きな足跡を残した平幹二朗さん、フジテレビ
「カインとアベル」(月曜後9:00)に出演中の急死となってしまいました。

 

ご冥福を心よりお祈りいたします。

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