漫画「はだしのゲン」の作者 中沢啓治さんが残した唯一の詩、「広島 愛の川」
詩に込められた平和への切なる願いに思いを巡らせ、大人から子どもへと脈々と
引き継いでいくために、中沢啓治さんが詩想を練った原爆ドーム前の川沿いで、
詩を大合唱して映像に残すことで、平和への願いを未来へ繋ぎたい!
詩に込められた思い
「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんが晩年子供たちへ遺した詩を意味のある形にして
未来に残したい・・・と
詩に感銘を受けた東京在住の作曲家の山本加津彦さんがメロディーを付けられ、
中沢啓治さんがファンだった加藤登紀子さんに届けられました。
「愛と平和のコンサート」
加藤登紀子さんは・・・
「シンプルな詩が曲に乗ることで、より深い思いになっている。
「詩と曲の奇跡の巡り合わせ」
「歌うほど気持ちが高まる」
と・・・自ら歌うことを熱望され、平和祈る歌声「広島・愛の川」
中沢啓治さんの未発表の詩を曲にした広島 愛の川CDをリリースされました。
毎年開催される『愛と平和のコンサート』でも川から海へと流れる水のように、
平和への思いを広げようという中沢啓治さんのメッセージを、
広島文化学園HBGホールのジョイントコンサートで、広島交響楽団との演奏に
乗せて壮大に歌われています。
山本加津彦プロフィール
生年月日: 1979年7月17日(38歳)
出身地: 大阪府泉大津市
学歴: 上智大学文学部新聞学科
ジャンル: J-POP
職業: 作詞家 作曲家 編曲家 ピアニスト
担当楽器: ピアノ キーボード
事務所: ソニー・ミュージックパブリッシング
「語ろうよ 川に向かって 怒り、悲しみ、優しさを
ああ、川は、広島の川は 世界の海へ流れ行く」
~詩に込められた思い~
中沢啓治さんは、闘病中、平和記念公園沿いを散歩しながら、
じっと川を眺めていたそうです。70年前、原爆で、中沢さんは、家族を奪われました。
そして、川には、地獄の様な光景が広がっていたといいます。戦後、時がたっても、見るのも辛かったことかと思います。
しかし、詩の中で、中沢さんはその川を「愛の川」と表現しています。「原爆」や「戦争」といった言葉も、あえて使っていません。
「『怒り』『悲しみ』を背負うのは、もう自分たちの時代だけで最後にしたい。次の世代には、『優しさ』を残してあげたい」。
2015年12月、中沢啓治さんはお亡くなりになりましたが、最期まで、
子どもたちのために、平和を願い続けた思いが伝わってきます。
この詩は、昨年、歌手の加藤登紀子さんに歌を吹き込んでいただきCDとなったり、
広島の小学生たちや合唱団、歌手の方々に歌っていただいたり、
ようやく一つの形には出来ました。
被爆者の方や戦争経験者の方々の平和への思いを未来へと引き継ぎ、被爆70年という
節目の今年の8月6日、その広がった輪を集約させたい!
中沢啓治さんが詩を考えたその場所で、心を一つにして歌うことで、
世代を超えてより多くの人たちに詩のメッセージを届けたい!
と・・・語っていらっしゃいます。
音楽には時を越えて思いを運ぶ力がある
原爆が投下された直後、その計り知れない被害の大きさから、広島の地には、
今後70年は、草木は一本も生えないだろうとも言われ・・・
あれから・・・75年。
被爆75年を迎える今年、苦しい時代を生き抜いた方々が、必死の思いで
繋いでくれた平和な「今」!
戦争を経験された方々の高齢化が進むなか、さらに今後、戦争を実体験していない
世代ばかりになったとしても、決して忘れてはならないことがあると、
ひしひしと感じています。
生前、「辛いときは歌を歌え」とよく語っていたという中沢啓治さん。
音楽には、歌にはどんな時にも生きる支えとなる力がある・・・
「広島 愛の川」を、子どもたち、親子、歌手の方々、平和を考える人たち、被爆者の方、
みんなで川に向って歌ってゆきたい・・・ですね。
75回目の「終戦の日」を迎えた15日、最期まで、子どもたちのために、
平和を願い続けた中沢啓治さんの思いをこめて・・・