河内木綿はたおり工房伝統を今に繋げる歴史が蘇る【人生の楽園】

人生の楽園

【人生の楽園】2017年12月16日午後6時~6時30分

大阪・東大阪市~ 伝統を紡ぐ河内木綿 ~

東大阪市で河内木綿の伝統を受け継いでいこうと

『河内木綿はたおり工房』を立ち上げた中井由榮さん(74歳)と

夫の和一郎さん(78歳)が主人公です。

 

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中井由榮さんプロフィール

大阪市出身の由榮さんは、地元の工芸の会社に勤めていた27歳の時に和一郎さんと結婚し、
2人の子どもが生まれます。

 

13年前、地元の伝統文化を紹介するイベントで河内木綿と出会った由榮さんは、
「自分が住んでいるこの場所で、昔はこんなことをしていたのか」と興味を持たれ、
地元でも忘れられていた河内木綿でしたが、その種をご夫婦で植えてみることに・・・・・

 

次第にその魅力に惹かれていった中井さんご夫婦、種から綿が収穫できると、
今度は糸の紡ぎ方と機織りを学びます。

 

由榮さんは、もっと多くの人に河内木綿のことを知ってもらいたいと仲間を募り、
『河内木綿コットン・クラブ』を結成されます。

河内木綿コットン・クラブって?

伝統の復活と手仕事の楽しさ高知木綿

河内の風土が育んだ河内木綿。

その種子を絶やさないよう育て、

地域の方に河内木綿への関心・愛着を持ってもらうため、

綿の無農薬での栽培から、綿の実の収穫、糸紡ぎ、機織り、作品作り、販売まで、

全ての工程を行っている工房です。

また、地域の方が気軽に立ち寄れる交流サロンとして、世代間交流の場にもなっているようです。

河内木綿とは?

江戸時代から明治時代のはじめにかけて、河内地方で栽培された綿から糸を紡いで
手織りされた木綿のことを、一般に「河内木綿」といいます。

 

日本で綿が広く栽培されはじめたのは、15世紀末頃の戦国時代といわれています。

 

当時木綿は朝鮮半島から輸入された高級品で、丈夫で保温性にすぐれたこの生地は、
あたらしい衣料として次第に広まっていました。

 

そして木綿の原料となる綿も国産化が試みられ、三河地方などで作られるようになりました。

 

河内地方で、いつごろから綿が栽培されたのは、はっきりとはわかっていないようで・・・

 

少なくとも江戸時代の初めころにはかなり栽培されていたようです。
河内木綿の歴史

河内木綿はたおり工房オープン

高知木綿はたおり工房公式ページ

その後、市の援助を受け、機織りの器具などを揃え、2015年に石切神社の参道沿いの
古民家を借り、河内木綿を誰もが気軽に体験出来る『河内木綿はたおり工房』を
オープンされました。

 

『河内木綿はたおり工房』では、河内木綿が出来るまでの工程が全て体験出来るように
なっているようです。

 

 

中井さんご夫婦とお仲間の上田さんご夫婦で綿を栽培し、はたおり工房の会員さんたちが、
綿と種を分ける綿繰りや、糸車で糸を紡ぎ、機織りで布を作ります。

 

さらに、ご近所さんにビワの葉などの草木染の材料をいただき、糸も染めも地元のものを
使用されています。

 

河内木綿はたおり工房での体験メニューは、コースター作りや糸紡ぎなど。

 

石切さんと言われて東大阪市で信仰の厚い石切劔箭神社に参拝しに来た方たちが、
いつでも利用できるようです。

 

河内木綿の伝統をたくさんの方に伝えようとするご夫婦と、はたおり工房の仲間や
地域の方たちとの交流の様子が紹介されます。

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