長い低迷の時代を経て、25年ぶりにセ・リーグ優勝を果たしたプロ野球・広島東洋カープ。
未だに興奮冷めやらず・・・の広島です。
黄金期も暗黒期も変わらず、カープを最も近いところで見守ってきたのが、
マスコットキャラクター「カープ坊や」です。
市内の至るところでいつも応援してくれている、ファンから愛されてやまない
「坊や」の知られざる誕生秘話とは?
目次
誕生から41年「カープ坊や」が愛されるわけ
県花・木のもみじとマンホールのふたに描かれ、お好み焼き店ではバット代わりに
「へら」を持ち、駅長さんにも、バスも、電車も、タクシーも・・・
広島の街を歩くと至る所でさまざまな「坊や」に出会えます。
いかに県民に愛される存在か分かります。
「坊や」の誕生は1975年6月と言われています。
カープが創設26年目にして悲願の初優勝を果たす4か月前のこと、
「よう考えたら、あの時と匹敵するんですよね。スゴイですね。不思議な気持ちがします」。
「坊や」生みの親で広島在住のイラストレーター・岡崎福雄さん(69)は、25年ぶりの優勝を
感慨深く受け止めて語っていらっしゃいます。
誕生から41年「カープ坊や」はどうやって生まれたの?
広告代理店のカープ担当としてポスター製作などに関わっていた岡崎さんが、
チーム遠征時に使う用具運搬車につけるペットマークの公募に参加したのが28歳の時。
「バットを振る鯉」も合わせて応募したが「坊や」の方が採用された。
「自分としては『坊や』を推していたので良かった。
子供には夢があり、希望がある。どんな人にも愛されるだろう」、と・・・
モデルになった少年はいたの?
実際にはモデルはいないそうで、「カープ坊や」というカワイイ名前は
「人知れず、いつの間にかついた」そうで・・・
岡崎さんも「いいネーミングだと思います」と支持していらっしゃるようです。
現役マスコットで12球団最古参になった。
「41年も愛されて、うれしいですね」と喜ぶ岡崎さんは「坊や」が長く親しまれる
理由を生みの親として、「“顔”というベーシックなデザインが良かったんでしょう。
いつの時代でも、長続きするのは基本的なデザインなんです」と・・
広島市内至るところで見かけるカープ坊や、市民に愛される広島カープもまた他県には
見かけない市民が支える球団として悲願の優勝で盛り上がっています。
カープ坊やは更にパワーアップしてカープを見守つてくれるでしょうね\(^^@)/
なにをやってもあか抜けなく、田舎臭いのは広島カープですって~~(笑)
それが広島カープの醍醐味ですねぇ~~