真田紐の起源と由来を調べたら原料の綿花はどこから?

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真田紐

 
2日に放送されたNHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8:00)で、

真田信繁(堺雅人)が「真田紐(ひも)」を考案し、商売を始めるというエピソードが

紹介され、真田紐の検索が急増し、放送終了直後には製造、販売最大手の「織元すみや 墨屋」

のサーバーが落ちるなど「真田丸」効果が波及したというのですが・・・

真田紐は主に茶道具の桐箱の紐や美術工芸品を収める木箱に使われているようですが、

近年は売上が激減していたのが・・・

 

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真田紐とは?

「真田丸」の放送が決まった昨年から、売り上げは回復基調にあるという。

同社の担当者は「真田紐はもともと強い紐として信繁様が考案されたという話ですが、

刀の柄にもまかれ、血のりがついても滑りにくいということで実戦向きとして

合理的に使ったそうです。

一般的には絹で編んだ紐や皮が使われていたのですが、

信繁様は木綿の真田紐を使いました。

貧しいかもしれませんが質実剛健というのでしょうか、

彼の性格が見て取れます」

と説明された。とあります。

真田紐(さなだひも)は、縦糸と横糸を使い機(はた)で織った平たく狭い織物の紐です。

漢語では「絛紐」(さなだひも)と書くこともあり、一重織り・袋織りがあり、

材質は木綿・正絹を使います。

主に茶道具の桐箱の紐・刀の下げ緒・鎧兜着用時の紐・帯締め・帯留用の紐・荷物紐等に

使用されています。

滑りにくいという特徴を生かし、「サムライバーテープ」の名称で自転車のハンドルに

巻く紐としても活用され、海外への輸出もされている真田紐。

信繁が考案したとされる伝統工芸品は、意外な形で広がりを見せているようです。

真田紐の特徴は伸びにくく丈夫なので重いものを吊ったり、しっかりと物を縛る事に使い、

数多くの柄があり、一部は家紋の様に家・個人の決められた柄があり

個人・集団の認証・作品の真贋鑑定に使われていると言います。

真田紐の歴史・名前の由来

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起原は定かではないようですが、チベットの山岳民族が家畜の獣毛を染め

腰機を用い織った細幅織物が南乗仏教伝来とともに海路日本に入ってきたものが、

停泊地の沖縄地方ではミンサー織りになり、八重山諸島では八重山織になり、

本州では綿を草木で染め織った細幅織物となり後の真田紐になったと言われています。

関ヶ原の戦い後に九度山に蟄居していた真田昌幸・信繁父子が真田紐を作製し、

生計を立てていたという俗説があるようです。

真田紐は真田打ともいい、ひらたく組み、または織った木綿の紐のことで、

『安齋随筆』によると、真田紐の組み方は、九度山に蟄居中、

正宗、貞宗の脇差の柄を巻くのに作ったのが始まりで、そこから真田父子の

発明という真偽不明の逸話が生み出されたも言われています。

真田氏の発祥地上田付近も上田縞などで知られる織物の産地であり、

九度山も織物の産地であることからこのような逸話が誕生したと

考えられるていると言われています。

綿花

また、真田紐は名前から真田家の領地である長野県が主要産地と思われているようですが、

戦国時代の実際は全国各地の武将が軍需物資として製作・使用していたのです。

また、当時綿花は、岡山・大阪・名古屋を結ぶ緯度より南でしか生育しておらず

長野県周辺では綿花がなく、行商人が運んでいた木綿製品を使う以外に

方法はなかったことから、長野で木綿製品が作られたとは到底考えられない!

真田紐はドラマの中では真田信繁が発明?

逆に真田家が蟄居させられていた九度山をはじめとする和歌山・泉州・岡山・滋賀などでは

すでに大規模に真田紐が生産され工業化されていたことから、木綿糸材料を含め、

高機・竹筬などの機材も入手可能だったので、真田紐の生産は可能であったと思われる。

当時、徳川の天下統一に伴い、特に大阪を中心とした地方の庶民には親豊臣・反徳川的風潮が根強く、

最後まで徳川に苦汁をなめさせた真田幸村を支持・美化する動きがあり、

真田紐を一つの象徴とするようになった、と言われています。

平成28年(2016年)に放映されたNHK大河ドラマ『真田丸』では、

ドラマの中で主人公の真田信繁(幸村)が真田紐を発明した設定になっていますね。

庶民、武士が常用したのが真田紐だった

 
真田紐

 
中国から日本の宮中に伝わったと言われる組紐に対し、庶民・武士が

常用したのが真田紐だと言われています。

経糸のみで「組む」組紐は構造的に伸びやすく、装飾的に使われる組紐に対し

縦糸と横糸を機で「織る」真田紐は非常に実用的だったことが窺えます。

平安・鎌倉時代の武将は宮廷色の強い、飾りの多い甲冑を身に着けていたのですが、

庶民や地方豪族から出て来た武将が登場した戦国時代には、真田紐など一般庶民が使って来た

道具を甲冑に使用することにより、より動きやすく実戦的な甲冑となり、

これが結果的に戦国時代における勝敗を左右し、ひいては時代の変わり目の一因となった。

戦国時代中期、千利休の発案で当時武将が使っていた刀の下げ緒が非常に

伸びにくく丈夫であることから、それまで鹿革の紐などを使っていた桐箱に

使用するようになったそうです。

茶道具の約束紐

元来刀の下げ緒等に使われていた時に各家の好みの柄が出来、

これを遺品回収の折の目印にしたことがのちに茶道具では約束紐と

呼ばれる各流儀・各作家・各機関でのみ使うことが出来る独特の柄を

制定する文化の基となったとあります。

また、桐箱の結びは、武将同士の通信に使われた箱に結ばれていた

封印結びが基と言われているようです。

歴史を紐解くとなかなか面白いですね。

真田紐にもこんな深い歴史があるなんて・・・

今・・真田紐は何に使うのかはわかりませんが問い合わせが殺到しているとか、

嬉しい悲鳴のようです。

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