~ 寿三郎と仲間達 ~アトリエジュサブロー人形教室作品展が開催されます。
故郷(ふるさと)広島三次に世界へ誇れる唯一の“常設館”として開館し、
過去10年以内に制作された人形がたくさん(50体近く)見れます。
辻村寿三郎プロフィール
名前: 辻村 寿三郎
旧名: 辻村ジュサブロー
生年月日:1933年11月11日(83歳)
職業: 人形作家、人形操作師、アートディレクタ
旧満州で生まれた、辻村寿三郎さんは、少年時代を中国大陸で過ごしたそうで、
育った料亭で、芸者さんの着物や端切れに親しみ、物心ついたときには割り箸で
人形を作っていたそうです。
11歳の時に日本に引き揚げ、広島市内の横川に1年住んでいたそうですが、
原爆投下の3ヶ月前に母の郷里の広島県三次市に引っ越しされました。
横川は爆心地から2キロほどの地点で、あのまま広島市内に居たら、
この世にいなかったかも知れないと・・・
三次中学(現三次高校)を卒業され、裁縫士になるべく洋服屋に奉公されたようですが、
三年で辞めるなど、他の仕事も長続きしなかったとか・・
しかし入った演劇サークルで看板書き、舞台装置、役者のかつら造りなどをされたそうで・・
この頃の経験が役立っているのでしょうか?
1954年 母の死をきっかけに広島に来演した前進座の河原崎国太郎さんを頼り役者を
志して上京されています。
その後河原崎国太郎さんの紹介で小道具制作の会社に就職され、26歳で独立、
幼い頃よりの趣味であった創作人形を一生の仕事と決意されたようです。
NHK「新八犬伝」で一躍有名に!
1973年の、NHK『新八犬伝』で人形美術を担当し、300体もの人形を作ったことにより、
一躍人気作家となられました。
1975年には、NHK『真田十勇士』の人形美術を担当され、芸術選奨新人賞受賞。
その他その異才ぶりを遺憾なく発揮し、数々の創作人形を発表されています!
人形芝居の上演、舞台衣裳デザインなど精力的な活動を行なわれ、昨年亡くなられた
平幹二朗さんの舞台衣装なども手掛けていらっしゃいます。
実際近くで展示されてる衣装を見ると繊細な技術に驚かされます。
日本を代表する人形作家でありながら人形の世界にとどまらず、人形館(ジュサブロー館)
では、作品展示の他、アトリエを公開しファンとの交流を図っていらっしゃいます。
現在人形町で、唯一人の人形職人であり、多岐に渡って活躍されています!
辻村寿三郎ってオネェ系?
辻村寿三郎さんは、オカマっぽい口調、物腰、イヤリングをされていたりすることから
『おネエなのでは?!』疑惑が広がっているようです!
これほどまでの人形に「魂」を込めるとそんな世界もありかな?
なんて納得してしまうのですが・・・
お子様もいらっしゃるのでオネェ言葉がそんな疑惑を?ですかねぇ~~(笑)
長男・辻村寿和さんも人形作家のようです!
人形の操作に感動
2005年福岡県行橋市で行われたあるイベントに呼ばれた際、人形操作を披露され、
その様子に感動した人達の中にいた地元の人形創作グループから指導を依頼され、
辻村寿三郎さんはつい、「呼ばれれば指導に行くよ」~~♪
結果、行橋市では2006年から寿三郎さんが講師を務める人形教室が開講したそうです。
これは全国初の試みであり、わざわざ遠方から学びにくる人もいるそうで・・
2014年、同じ九州出身である漫画家、尾田栄一郎さんと漫画「ONE PEAC(ワンピース)」の
画集「COLOR WALK6『GORILLA』」で対談し、主人公とその仲間たちの人形を
製作されました!
その他その異才ぶりを遺憾なく発揮し、数々の創作人形の発表、人形芝居の上演、
舞台衣裳デザインなど精力的な活動は行う、日本を代表する人形作家でありながら
人形の世界にとどまらず、総合的なアーティストとして各方面より大きな注目を
集めていらっしゃいます。
人形館(ジュサブロー館)では作品展示の他、アトリエを公開しファンとの交流を
図っていらっしゃいます。
辻村寿三郎人形館アクセス案内
三次の歴史ある建物の中で見る人形は ご来館された方達の心に残る展示になる事と思います。
人形配置・演出などの監修をされていらっしゃいます。
会場:辻村寿三郎人形館2階展示室3
※通常の入館料が必要です
三次にお越しの際は是非お立ち寄りをおすすめします。
まとめ
寿三郎さんの耳の長いうさぎ「花うさぎ」はメチャかわゆいのでつい買いたくなり、
買って帰りましたよ~~♪
「寿三郎と作る小さな人形たち」 1999年11月 NHK出版 にも紹介されています。
「花うさぎ」以外の人形についても寿三郎さんが初心者でも作りやすいように
解説されています。
昔の着物のハギレなんかで作ってみたくなりますね。